排水口のすみにいる

まさしく思考回路の掃き溜め

Vtuberに一般論から定義付けを図ることに意味はあるのか

注意! これはあくまでしがないVtuberファンの私見です。

ご意見は下のツイッターまで。待ってまーす。

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「こんなのVtuberとは言えない」「これはVtuberといっていいのか?」

 

Vtuberの「定義」に関する議論をVtuberやそのファンの間でちょくちょく目にするようになった。

これに関しては、すら(TwitterID:@bluesura)さんがVtuberの定義に関する様々な意見を綺麗にまとめてくださっているので参考にされたし。
そもそもバーチャルYoutuberって何?定義って何? - すら の気まぐれに書くブログ(@bluesura)

 

正直、概ね同意見だが、あえて本稿では、「そもそも一般論としてVtuberの定義付けをする意味はあるのか?」について述べていきたい。

 

これについて、私は以前からツイッターで言及している。

 

 

 

 

ツイートを要約すると、そもそも一般論から定義付けする意味なんてなくね?てか定義付けできなくね?定義付けはVtuber市場の縮小に繋がるんじゃね?みたいな感じである(適当)。

 

もちろん、好みはある。取捨選択や見る見ないは視聴者の自由である。己の中で「こうあってほしい……」と思うことは当然あるだろう。

しかし、そもそもVtuber自体、今黎明期で、市場が急速に広がっているから、一般論で定義付けというか市場確定なんてしようがない。

タダでさえ技術的・金銭的ハードルが高いVtuberの参入障壁を定義付けによって更に高めてしまうと、Vtuber市場で自由な競争が行われなくなり、多様性が失われコンテンツの硬直化を招いてしまうのではないか。

 

少し話はそれるが、例えば初音ミクが一大コンテンツを築いたのは、コンテンツ自体が重層的で度量の深いところに起因する。

初音ミクは、機械音声を生かした楽曲だけでなく、人間と変わらないような調整を施した楽曲、バラード、ロック、アイドル系、シュールギャグ、アイロニー、ゲスな下ネタまでなんでも歌いこなす。その姿を多様な絵柄で様々な絵師が描き出す。

 

初音ミクと一言で言えども、人それぞれ自分だけの「初音ミク」を見つけ出し、作り出すことができた(ここ重要)。

Vtuberも同じように、人それぞれ自分だけの「Vtuber」を見つけ出し、作り出せるような多様性を持てば、長く続く一大コンテンツになるだろう。

 

そのような意味で、黎明期である今、新規参入を阻害しかねない画一的・一般論的な定義付けはコンテンツの発展にとって望ましくない。

現状の「名乗ったもん勝ち」で問題ないと思われる。

 

 

結論

参入障壁を下げたねこます氏

けもみみおーこく国営放送 - YouTube)をはじめとした個性あふれる個人勢の功績は本当に大きい。

だからこそ、Vtuberを愛する一視聴者としては、Vtuber界隈が大きく盛り上がることを願ってやまないし、視聴者としてもそのような振る舞いを心がけたい。議論自体は面白くて楽しいのだが、定義付けをすることで既存Vtuberや新規参入しようとする方々が萎縮してしまうことにならないようにしたい。

 

補足および雑感

・基本的に、公正かつ自由な競争は消費者及び事業者・供給者、コンテンツにとって利益があると考えている。なので参入障壁を無為に高める行為はあまり歓迎していない。

・もちろん、参入後ちゃんとやっていけるかは別問題。純粋に質が低いものは競争の中で淘汰されていくだろうとは思う。

・昔「これは初音ミクじゃねえ!」みたいな議論が散見されけど、案外無視してみんな作り続けてた感あるよね 

・1月27日のくるみちゃんのツイート(もう消えてしまったけど)は真理であると思う。定義は定義でしかないのだ。くるみちゃん復活待ってます。